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四間道
土蔵群と町家が城下町の面影を残す
1610年に始まった家康による「清須越」にともない形成され、堀川の舟運を利用する商人の町として発展。現在も商人の栄華の跡である土蔵群と町家、伝統的な建造物が立ち並び、城下町の面影を残している。「四間道」という名前の由来は諸説あるが、1700年の大火後に防火を目的に道を4間(約7m)に整備されたからともいわれている。
下町情緒を感じる路地空間
西側の地域には、路地の両側に平家建や2階建の長屋が立ち並ぶ。当時、新たに社を建てる空き地がなかったため、民家の屋根に小さな祠を設けて「屋根神様」を祀ったといわれている。狭い道と住居によって形成された路地空間は、この地区の歴史的特質を示している。