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小幡城跡
小牧・長久手の戦いで重要な役割を果たした城
1522年、織田配下の岡田重篤によって築かれたといわれる。1535年に家康の祖父・清康が尾張に軍を進めたとき在城し、また織田信光の居城になったが、のちに廃城。1584年の小牧・長久手の戦いに際し、三河との連絡路を保つため家康が修復した。
家康は、長久手の戦いで秀吉軍の有力武将を次々に討ち取った後、午後4時頃に小幡城に入った。一方、先鋒隊の敗報を受けた秀吉は家康を直接討つべく、2万の大軍にて午後5時頃に龍泉寺城に入城した。わずか2.5kmほどの距離で向かい合うこととなった両雄であるが、秀吉は、翌朝の小幡城攻めを決め、家康は朝を待たず小牧城へと帰ったため、直接対決には至らなかった。
この戦いの後、小幡城は廃城となり、現在、城跡にはわずかに堀、土塁跡の遺構が残っている。