家康の
足跡を辿る
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家康にとって名古屋の地は、幼少時代から苦難をともなうゆかりの深い地でもあった。6歳で親元から離れ織田家人質として過ごした熱田や那古野、19歳の時は桶狭間の戦いに参陣。さらに壮年時代、小牧・長久手の戦いの際、対立する秀吉の大軍勢と対峙した小幡城など知られざる家康の物語と史跡をたどってみよう。
「家康の足跡を辿る」
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大高城跡
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丸根砦跡
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笠寺観音
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熱田羽城跡
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亀嶽林万松寺
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小幡城跡
天下を取った家康の
知られざる苦難の足跡を
名古屋でたどる
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大高城跡
桶狭間の戦い当時は海岸線が迫り、伊勢湾に面した城だった。若き徳川家康(松平元康)が兵糧を入れ、織田方の砦を攻撃に出撃した。国指定史跡。
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丸根砦跡
大高城を包囲するために築かれた織田方の砦のひとつ。若き徳川家康(松平元康)の攻撃によって攻め落とされた。国指定史跡。
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笠寺観音(天林山笠覆寺)
尾張四観音のひとつ。この場所で織田家人質の家康と今川家人質の織田信広(信長兄)の交換が行われたという説もある。
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熱田羽城跡
織田信秀の人質となった徳川家康(松平竹千代)が幽閉された地。熱田の豪商・加藤図書助の屋敷跡。当時は精進川河口部の浜堤の突き出た場所にあり「羽城」とよばれた。
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亀嶽林万松寺
信長父・織田信秀が自らの菩提寺として那古野城の南側に創建。幼少時代の家康が一時過ごしたという。家康による名古屋城築城と城下町建設にともない南寺町(現在の大須)に移転させられた。
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小幡城跡
長久手合戦の前夜に家康が入城し、戦勝後に帰城した。城跡を示す明瞭な遺構はないが堀跡や曲輪跡を思わせる高低差が残る。台地の北縁に位置し、小牧方面への眺望が開けている。
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