なごや英傑 聖地巡礼

妙行寺

名古屋<清正>
観光モデルコース

NAGOYA〈KIYOMASA〉SIGHTSEEING MODEL COURSE

加藤清正にとって名古屋は、生まれ故郷だけでなくその後もゆかりの深い土地であった。生誕地の中村には、出生地に妙行寺の移築を行い、秀吉ゆかりの常泉寺の創建にも関わった。また名古屋城公儀普請に参加し、豪壮な天守台石垣を築くとともに、名古屋各所に足跡を残した。

「名古屋<清正>
観光モデルコース」

  • 正悦山妙行寺

  • 秀吉清正記念館

  • 八幡社

  • 桜天神社

  • 名古屋城

  • 清正山栄立寺

ふるさと名古屋に残る
加藤清正の足跡をたどる

正悦山妙行寺

境内は加藤清正の生誕地とされる。名古屋城天守台石垣工事を手掛けた清正が余材や普請小屋をもらい受け、先祖や両親の菩提を弔うため移築再建した。

秀吉清正記念館

織田信長の登場から豊臣秀吉の天下統一、さらに豊臣家滅亡まで、さらに加藤清正ら尾張の武将たちに関する絵画、工芸、文書などの史料の展示を行う歴史資料館。秀吉の「馬藺後立付兜」、清正の「蛇目紋長烏帽子形兜」のレプリカも展示。毎年特別陳列を開催するほか、館蔵資料や写真パネル展を随時開催している。

八幡社

加藤清正が出陣にあたり武運長久を祈願したとされ、名古屋城築城工事の際に境内の大楠を棟木に使ったと伝えられる。清正が故郷中村に勧請した八幡社のひとつといわれる。

桜天神社

織田信長の父・信秀が那古野城内の祠に奉ったのが始まり。名古屋城築城工事の際に加藤清正は飲料水を得るために桜の樹の下に井戸を掘ったという。桜の樹はないが清正ゆかりの井戸が残る。

名古屋城

徳川家康が西国に対するにらみと備えを目的に築いた巨大城郭。中心部は総石垣造りで、防御機能に優れた枡形門を持つ。金鯱を載せ、屋根を銅瓦で葺いた天守は、延床面積では江戸城天守をしのいでいた。戦災で焼失したが昭和34年(1959)に再建。平成30年(2018)に復元された本丸御殿は城郭御殿建築の最高傑作とされ、将軍上洛時の宿殿(御成御殿)として利用された。

※三代将軍徳川家光、十四代将軍徳川家茂が宿泊した。

清正山栄立寺

寺院の地は加藤清正が名古屋城石垣に使う石を運んだ際に、陣を置いた場所と伝えられる。本堂には衣冠束帯姿の清正公像が祀られ、境内には「清正公力石」という名の巨石が残されている。

KIYOMASA SPOT

清正関連史跡

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