なごや英傑 聖地巡礼

What’s NAGOYA EIKETSU
SEICHIJUNREI

なごや英傑
聖地巡礼とは

戦国時代、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をはじめ、
あまたの英傑たちが駆け抜け日本の歴史を躍動させた
“SAMURAIのまち”名古屋。
織田信長が逆転勝利を期して挑んだ桶狭間。
豊臣秀吉が立身出世を夢見たふるさと中村。
徳川家康が泰平の世を見据えて築いた巨大城郭と碁盤割のまち。
英傑たちの面影や足跡が残る各地を訪ねれば、
彼らの夢と野望の物語と出会う。
この旅は今を生きるあなたの心も躍動させる。

英傑たちの
物語を旅せよ。

織田信長が
駆けた名古屋
尾張統一に邁進し、
桶狭間で大勝利を果たした
若き信長が駆け巡った名古屋。
名古屋には信長の想いが
宿る場所がある。
桶狭間古戦場公園

〈織田信長Profile〉

天文3年(1534)、尾張国勝幡城で生まれる。幼名は吉法師。元服後に那古野城(*1)を与えられ、20 歳または 21 歳(*2)までは那古野城で過ごした。清須城を居城とした後も尾張統一戦や今川義元と戦った桶狭間の戦いで名古屋の地を縦横に駆け巡った。尾張を統一した後、美濃を奪い取り、足利義昭を奉じて室町幕府を再興。義昭を追放後は、天下静謐に向け各地の敵対勢力を打ち破り、全国制覇を目前とした。天正10年(1582)、京都本能寺宿泊中に明智光秀の謀反に遭い自害。

(*1)名古屋城の前身にあたる城。名古屋城二之丸付近にあった。
(*2)信長が居城を清洲城に移したのは天文 23 年(1554)説、弘治元年(1555)説がある。
* きよすは中世の史料では「清須」と表記された。

  • 清洲城・清洲公園
    (清須市)

  • 榎白山神社
    (名古屋市西区)

  • 日置神社
    (名古屋市中区)

  • 白鳥山法持寺
    (名古屋市熱田区)

  • 熱田神宮[信長塀]
    (名古屋市熱田区)

  • 桶狭間古戦場公園
    (名古屋市緑区)

豊臣秀吉の
ふるさと名古屋
貧しい境遇にもめげず、
立身出世を夢見た少年秀吉が
泣き笑いした名古屋。
名古屋には秀吉の想いが
宿る場所がある。
豊國神社

〈豊臣秀吉Profile〉

天文6年(1537)、尾張国中村(*)の地で生まれる。幼名は日吉丸。出生から青年時代までの動向はいまだ謎に包まれているが、故郷を出て諸国を放浪したとされる。青年になった頃に尾張に戻り、織田信長に仕える。信長の美濃攻めの頃からとんとん拍子に出世。最初、木下藤吉郎秀吉、次いで羽柴秀吉を名乗る。信長死後ライバルを次々退け、天正12年(1585)に朝廷から関白に任じられ豊臣性を賜る。天正18年(1590)、諸国の大名を従え天下統一を果たした。

(*)現在の名古屋市中村区内。

  • 豊國神社
    (名古屋市中村区)

  • 中村公園
    (名古屋市中村区)

  • 妙行寺
    (名古屋市中村区)

  • 常泉寺
    (名古屋市中村区)

  • 秀吉清正記念館
    (名古屋市中村区)

  • 大鳥居
    (名古屋市中村区)

徳川家康が
つくった名古屋
戦乱なき泰平の世を見据えた
天下人家康が築いた
城とまち、名古屋。
名古屋には家康の想いが
宿る場所がある。
名古屋城

〈徳川家康Profile〉

天文11年(1542)、三河国岡崎城で生まれる。幼名は竹千代。幼少期に織田家人質となり、約3年間名古屋で過ごした。19歳の時に桶狭間の戦いに出陣し、大高城(*)に入城した。織田信長と同盟を結び三河を統一。信長死後に起きた小牧・長久手の戦いで秀吉と対決するも講和後に臣従し、秀吉の天下取りを支えた。関ヶ原の戦いの後、征夷大将軍に任じられ、江戸に幕府を開く。その後、豊臣氏や西国大名に備え名古屋城を築くとともに城下町や街道を整備した。豊臣氏を滅亡させ、以後260余年の間戦乱のない泰平の世の礎を築いた。

(*)名古屋市緑区内。

  • 名古屋城
    (名古屋市中区)

  • 若宮八幡社
    (名古屋市中区)

  • 大須商店街
    (名古屋市中区)

  • 五条橋
    (名古屋市西区)

  • 四間道
    (名古屋市西区)

  • 徳川園
    (名古屋市東区)

前田利家が
勇を奮った名古屋
加賀百万石の礎を築いた
若き利家の足跡を
残すまち、名古屋。
名古屋には利家の想いが
宿る場所がある。
前田速念寺

〈前田利家Profile〉

天文6年(1537)、尾張国荒子城または前田城に生まれる。幼名は犬千代。15歳で織田信長に仕える。永禄元年(1558)にまつと結婚。永禄12年(1569)、信長の命により前田家家督を継ぎ荒子城主となる。信長死後、羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が争った賤ケ岳の戦いを経て秀吉に臣従し、加賀金沢城主となる。その後、加賀・能登・越中にまたがる北国の重鎮として後の加賀百万石の礎を築いた。家康とともに晩年の秀吉を支えた。

  • 前田利家公初陣之像
    (名古屋市中川区)

  • 荒子観音寺
    (名古屋市中川区)

  • 荒子城址(富士権現天満天神宮)
    (名古屋市中川区)

  • 寳珠院
    (名古屋市中川区)

  • 龍潭寺
    (名古屋市中川区)

  • 前田速念寺
    (名古屋市中川区)

加藤清正が
愛した名古屋
秀吉を慕い、築城の名手と称された
清正の誇りと伝承を
残すまち、名古屋。
名古屋には清正の想いが
宿る場所がある。
妙行寺

〈加藤清正Profile〉

永禄5年(1562)、尾張国中村の地に生まれる。生母が豊臣秀吉の母なかと従姉妹(あるいは遠縁の親戚)とされ、その縁を頼って秀吉に仕えた。秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳の戦いで活躍。その後も武功を重ね天正16年(1588)に肥後19.5万石の大名に抜擢される。武功派や猛将のイメージが強いが、政情不安だった肥後の領内統治や治水事業など内政にも非凡な才を発揮した。関ヶ原の戦いの後、肥後半国が加増され54万石の大大名となった。築城の名手と称され、居城である熊本城をはじめ、名古屋城普請では天守石垣工事を担当した。

  • 正悦山妙行寺
    (名古屋市中村区)

  • 名古屋城天守台石垣
    (名古屋市中区)

  • 八幡社
    (名古屋市中村区)

  • 桜天神社
    (名古屋市中区)

  • 亀岳林 万松寺
    (名古屋市中区)

  •  

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