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名古屋城

国の特別史跡に指定される名古屋のシンボル
関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が西国に対するにらみと備えを目的に築いた巨大城郭。広大な石垣と堀で区切られた各曲輪を交互にずらした巧みな縄張※1を特徴とする。家康は築城と同時に城と熱田湊を結ぶ運河である堀川※2 の開削を福島正則に命じた。築城に必要な木材は堀川によって運ばれ、その後も城下町の発展に大きく寄与した。金鯱を載せ、屋根を銅瓦 で葺いた天守は、延床面積では江戸城天守をしのいでいた。戦災で焼失したが昭和 34 年(1959)に再建。平成 30 年(2018)に復元された本丸御殿は城郭御殿建築の最高傑作とされ、将軍上洛時の宿殿(御成御殿)※3として利用された。現在、二之丸庭園の整備が進行している(天守閣は現在閉館)。
※1曲輪や堀、虎口の配置など城の基本となる平面プラン。 ※2当初は開削を担当した福島左衛門太夫正則にちなみ「太夫堀」と呼ばれた。 ※3三代将軍徳川家光、十四代将軍徳川家茂が宿泊した。

